大判例

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静岡簡易裁判所 昭和32年(ろ)197号 判決

被告人 内田義元

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人は、鈴与自動車株式会社勤務の自動車運転者であるが、昭和三十二年三月十三日午前九時四十分頃、普通貨物自動車(一―あ〇六〇六号)を運転し、時速約三十五粁で静岡市柚木九十番地先静清国道(巾員一三、八米の舗装道路)を西方より東方へ進行中、前方約四十米附近を同一方向に進行中の助手席(運転台の左側)に小林清を乗せた大村照雄の運転する自動三輪車を発見したところ、間もなく同車は徐行し、道路左側寄りに進行したので、その右側を追い越そうとしたのであるが、かかる際、自動車運転者は警音器を連続吹鳴して追越の警告を与えると共に、前車の進行状態を警戒して同車がいかなる方向へ進行しても、いつでも急停車して事故の発生を未然に防止できるよう万全の措置を講じて運転する注意義務があるのに、被告人は不注意にもこれを怠り、漫然と同車は道路左側へ停車するものと軽信して、そのまま同速で同車の右側を追い越そうとした過失により、同車を約十米の近距離に迫つた際、同車が突然自己の進路を右折進行せんとするのを発見するや、狼狽して急遽ハンドルを右に切ると共に急停車の措置を講じたが間に合わず、遂に自己自動車左前フェンダー附近を同自動車右前方運転台附近に衝突させて、その衝撃により同車に同乗中の右両名をそれぞれ自動車機関部へ強突せしめ、よつて右大村照雄に対し全治五週間を要する右第九、十、十一肋骨骨折、同小林清に対して全治三週間を要する頭部左膝打撲および挫創等の傷を負わせたものである。

というのである。

二、証拠によつて認定される事実

当裁判所が、取調べた各証拠並びに被告人の当公判廷における供述を総合すると、つぎの諸事実が認定される。すなわち、

(1)  被告人は、昭和二十二年頃、清水市入船町三丁目四番地鈴与自動車運送株式会社に修理工として雇われ、昭和二十四年頃からは、運転手として同会社の自動車運転の業務に従事し、本件事故発生当時、同会社所有のダンプ型普通貨物自動車日野五三年型(静一あ〇六〇六号)を運転し、事故現場附近をしばしば運転通行して、附近の状況にも通じていた。当時右車の操向装置、制動装置、警音器等その他機械に不備故障はなかつた。

(2)  昭和三十二年三月十三日、被告人は右貨物自動車を運転して、セメントを藤枝市内に運搬し、これを終つて再び清水市内に戻るため、空車にて静清国道を西方から東進し、同日午前九時四十分頃、本件事故現場である静岡市柚木九十番地先附近にさしかかつた。

その際(当裁判所の検証調書記載中の〈3〉点において。)約九十五米前方道路左側(同上〈1〉点)に自動三輪車の停車しているのを認めた。右自動三輪車はマツダ五五年型三輪貨物車(静六せ二九五七号)で、後部荷台に屑繩を満載し、これが車体両側に約十五・六糎あて垂れさがつており、また後部にも、荷台下まで多量に垂れさがつていて、方向指示灯、停止灯が後方より発見困難な状況になつていた。

そこで、被告人は当時、時速約三十五粁の速さのままで約八十五米前進した際(同上〈4〉点に至つたとき。このとき被告人の車と右自動三輪車との距離は約九、四米。)、それまでずつと道路左側に停車していた右自動三輪車が、突然時速約十粁位の速度で道路中央部に向いやや半円型に発進してきた。

その附近は道巾が約十三、八米ある平坦な舗装道路で、被告人はその道路中央指示線より多少左寄りのところを進行していた。

右自動三輪車が突然右の如く発進する前には、同車は、その左側車体が道路の左側舗装部分(そのさらに左側には舗装されていない歩道が約四米ある。)から約二十糎入つたところにいた。そして対向車がなかつたから被告人がその右側を通過するに十分なだけの道路が開放されていたのである。

被告人は、右自動三輪車が突然右え転回しはじめたのを見て危険を感じ、警音器を一回吹鳴してハンドルを右に切るとともに急ブレーキをかけて急停車しようとしたが、既に両車の距離は約九、四米にせまつていたため、間に合わず、被告人の車の左前フェンダー附近と、右自動三輪車右前方運転台附近とが衝突し、その衝撃により右自動三輪車に乗車していた運転手の大村照雄および左側助手席の小林清がそれぞれ同車機関部に強突して、右大村が全治五週間を要する右第九、十、十一、肋骨骨折、同小林が全治三週間を要する頭部並びに左膝打撲および挫創の各傷害を負うに至つたこと。

(3)  右自動三輪車は、右のごとく大村照雄が運転し、左助手席に小林清を同乗させ、静岡市高松所在の丸吉製紙から約二百貫位の屑繩を後部荷台一杯に満載し、本件事故現場附近南側の岩本プレス工業株式会社に積荷の計量に赴くため、静清国道を西より東進し、右岩本プレス工業株式会社は進行方向右側にあるので、反対側に半円型に転回するため、右岩本プレスの正面入口よりやや行きすぎた車道左端に一時停車し、一、二分たつてから(その停止した時間については後述する。)方向指示灯を点滅しながら右折にうつり、道路中央部において本件事故にあつたのである。しかし、右の如く車の後部荷台に屑繩を満載し、車体の側方、後方に多量に垂れさがつていたため、後部方向指示灯の点滅が後方より発見認識困難で、且つ運転席からの後方の見透しが悪く、通常の方法では後方の安全確認もできない状態であつた。にもかかわらず、大村照雄は、助手席にいた小林清を下車させて、後方から近従してくる車馬がないか等充分に確認することなく、また、見透しの悪い運転席から右後方を瞥見しただけで、突然時速十粁位の速度で漫然道路右側に転回しようと発進したため、後方から被告人の運転する貨物自動車が近接したのを約五米位に接近して発見し、ハンドルを左に切つて避けんとしたが、及ばずして本件衝突が発生したこと。

(4)  本件現場道路は、歩車道の区別のある国道一号線で通称静清国道といわれており、車道巾員は約十三、八米でアスファルト舗装されており、更にその両側には各四米の非舗装歩道が設けられ、路面の状況はよい。歩車道の境界には街路樹が植えられてあるほか電柱が立つている。附近には道路の右側に人家工場が建ち並んでおり、左側は静岡鉄道の電車軌道が並行に走つて道路とともに左にゆるやかなカーブになつているが、見透しは極めてよい。また、附近には右側に曲る道はない。自動三輪車の停車していた位置は、前記岩本プレス工業株式会社正面入口よりやや行きすぎた地点であつて、附近には、右自動三輪車が道路の左側から右側に移ることを推測させる状況は認められない。本件現場における交通量は極めて頻繁であり、間断なく車馬が疾走しているが、事故発生時(午前九時四十分頃)には比較的車馬の往来は少なかつた。該道路における交通整理および規制の標識等は設けられていない。

三、公訴事実に対する判断

そこで、右に認定した諸事実にもとづいて、本件事故による結果の発生が、公訴事実に掲げられたような被告人の過失に基因するものであるかについて順次判断する。

(一)  まず検察官は、本件事故は被告人が先行車追越の際の注意義務違反によつて発生したものであるという。

(1)  しかし、前記認定の如く、被告人が大村照雄の運転する自動三輪車を発見したとき、該車は約九十五米前方の道路左側に停車していたものであり、被告人はその右側方を通過せんとしたものである。

もつとも、被告人の司法巡査並びに検察官に対する各供述調書中に、「前方三、四十米の処を同じ方向に道路左側を走つていた自動三輪車を発見しました。……するとその三輪車はだんだん左側の隅へ寄つて行くので……その車の右側を追い越そうと思つてそのまま走つて行きました。」という記載部分がある。

しかし、被告人は当公判廷において右事実を否認し、警察における取調の際には頭が混乱して自分の思つていたことが供述できず、他の車と本件自動三輪車とを混同したため、そのような記載がなされてしまつた旨弁解している。

よつて、被告人の司法巡査並びに検察官に対する各供述調書中、前記の如き記載部分の信憑力について検討する。

(イ) 被告人の司法巡査に対する供述調書(昭和三十二年三月十三日付)と、検察官に対する供述調書(同年九月三日付)との中間に取調べられた検察事務官に対する第一回供述調書(同年六月一日付)によると、被告人は、右の事実については何等言及することなく、却つて被告人が自動三輪車を発見したとき、「該自動車は車道の北側一杯に停車しているのかのろのろ歩んでいる様でした」と述べた記載がある。

(ロ) さらに、被害者の運転する自動三輪車が道路左側に一時停車した時間について、証人大村照雄の証人尋問調書中の記載並びに同人の当公判廷での証言によると「一、二分」であると述べ、証人山田肇の当公判廷での証言によると、停車時間は「二、三分位と思う」と述べている。

被害者大村照雄が自動三輪車を道路左側に一時停車させた目的は、前記認定の如く道路右側にある岩本プレスに積荷の計量に赴くため道路横断するのに後続車二、三台やりすごすために一時避譲したのであつて、その他特別の事由があつたわけではないのであるから、一分も二分もそのために停車する必要があつたかどうか直ちに肯首し難い節がないでもないが、さりとて、検察官が主張するような一、二分というのは一寸という意味であると即断することもできない。

結局、当裁判所は、右両名の当公判廷における態度、供述内容、特に両名が自動車運転の経験者である等から総合的に考察して、大村照雄の自動三輪車は道路左側に一、二分位停車していたものであると認定する。そうすると、被告人が当時時速約三十五粁の速度で進行していた(一分間に約六百米、二分間に約千二百米の距離。)こと、および現場附近の道路の状況、交通量等から考えると、被告人の前記各供述調書中の「前方三、四十米の処を同一方向へ進行中の自動三輪車を発見し、その右側を追い越そうと思つた」旨の記載部分は事実に合致しないことになる。

(ハ) また、仮りに被告人が三、四十米の間隔を置いて自動三輪車に追従進行していたものとすると、被告人運転の貨物自動車の速度(時速約三十五粁)からみて、被害者の自動車が道路左側に一時停車している間に、その右側方を無事通過してしまつていたのであろうから、本件衝突事故発生の余地がないことにもなる。

以上述べた如く、被告人の司法巡査並びに検察官に対する各供述調書中前記記載部分は、他の証拠との関係において、相互に矛盾衝突していてかかる記載部分はその信憑力に乏しく、もとより被告人の過失認定の資料に使用することは躊躇せざるを得ない。

(2)  よつて、被告人の運転する貨物自動車が大村照雄の運転する自動三輪車と衝突し、同人らに傷害を与えたことが、被告人の自動車運転者としての業務上の注意義務を怠つたことによるものであるかについて考える。

およそ自動車運転者が自動車を運転して道路を進行するに際しては、当然前方の安全を確認して進むべきであること勿論であるが、道路左側に停車中の車馬があり、その側方を通過する場合に、検察官主張のような、警音器を連続吹鳴し、停止中の車馬がいかなる方向に進行しても、いつでも急停車できるよう運転する義務があるかどうかは、その際における具体的状況の如何によつて決することで、直ちに断じ得ないところであるが、高速度交通機関の発達した現在、自動車運転者は、停車中の車馬の位置、挙動、道路の状況等に照らし、事故発生の危険がないと判断される場合には、かかる注意義務がないというべきである。

ところで本件は、前記認定の如く大村照雄の自動三輪車は左側に停車しており、突如右に転回するようなキザシは認められず、本件事故現場の状況もそのようなことを予想すべきものではなかつたのであり、被告人が安全にその右側方を通過し得るものと信じて、そのまま進行したことにつき、自動車運転者として咎めるべきものがあると断ずるのは極めて困難なことに属し、更に被告人の急停車の措置が適切でなかつたとか、あるいは、その制動装置等に故障があつたなどの事実も認められないのであるから、被告人に対し公訴事実記載の如き注意義務を要求し、且つ本件事故の責任を問うことは、けだし酷を強いるものとの謗りを免れ難い。

(3)  むしろ本件事故は、自動三輪車を運転していた大村照雄が、右折の際の注意義務である。あらかじめ手、方向指示器等で合図し(道路交通取締法第二二条、道路交通取締法施行令第三六条第一項第二号)、進路の側方あるいは後方の車馬に対する安全を確認し、その他車体の周囲の交通に対し注視し、直進してくる車馬があればこれに進路を譲つて一時停車又は徐行(道路交通取締法第一八条の二第一項本文)等事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにかかわらず、前記認定の如く、これを怠り、突然発進したことによつて惹起されたものといわねばならない。

(二)  つぎに、検察官は、本件事故現場附近は屈曲のある場所であるのにかかわらず、被告人は徐行しなかつたものであると主張するので、この点について検討する。

道路交通取締法施行令第二九条第二項は、車馬又は軌道車は、こう配の急な坂、屈曲のある場所又は公安委員会の指定する場所を進行するときは、徐行しなければならないと規定しているが、いわゆる自動車の徐行とは如何なる速度即ち時速何キロ以下というのか法令には格別これを定めていないのであるから、屈曲のある場所における徐行の程度については、その彎曲の状況、道路の状況、見透しの良否等現場の具体的状況に照らし、社会通念により、これを決するほかない。

これを本件についてみるに、前記認定の如き道路の見透し、カーブの状況、道巾、路面の様子、交通量のもとにおいて、被告人が時速約三十五粁の速度で進行したことが、通常貨物自動車の昼間最高速度時速四十粁(現行五十粁)に比して危険であると思えないので、右条項にいう徐行に該当せず高速にすぎたと批難するのは相当でない。

従つて、以上いずれの点よりするも本件の結果発生について被告人に過失が認められず、その他本件が被告人の過失によるものであると認める証拠がないから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に無罪の言渡をする。

(裁判官 井田友吉)

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